2010年11月24日
「文学の森」と「迷亭の名前の由来」
えー、お付き合いお願い申し上げます。。
世の中には暇な人というのがおりまして、その暇をつぶすのに毎日忙しいなんていう変わった方がおりますな。
そういう方に言わせると、酒だの、博打だの、あるいはご婦人だのというのは、これはもう用事の類らしいですな。
暇をつぶすのは自分の欲望や野心と離れた純粋なものじゃなきゃいかん、などと難しいことをおっしゃったりする。
でそういう方に言わせるとあれはいいそうですな、文学なんてものがいいなんておっしゃる。
すると、馬鹿を言うな、文学は立派に人様の役に立つ学問であるぞナンテおっしゃる人もいてややこしいん。
確かにそういう文学もある。知識教養の名作文学もございますが、そうでないのもあると、で、そうでないほうというのが、その好事家のかたはお探しになったりする。珠玉の短編などとおほめになる。
が、そうして自分だけのお宝を自慢しても案外誰もほめてくれない。
なにせ「知られざる」が価値ですからな。
だから自分だけの楽しみとなる。世間に通用せぬものだから役には立たない。
わざわざ役に立たないものをお探しになるんだからこれはもう、確かに立派な暇つぶし。
暇つぶしに立派があるかはしりませんが、お楽しみはひとそれぞれで。
「ご隠居、なにをご覧になってるんです?」
「おお、熊さんか、まあお入り、これか、これはな、人様からのいただきものでな、実にありがたいお宝だ。」
「何っ!お宝!聞き捨てならねえな、いったいなんです?」
「アンソロジーというものだ。」
「なに、あんころもち?そいつはありがてぇ」
「食べたらいかん。アンソロジーじゃ。日本語で言えば私花集などというな。」
「しかしゅう?そういえば昔ヒカシューというバンドが好きで、巻上公一はいまどこへ、」
「そんな事いっても誰もわからん。まあいろんなお話をだな、ひとつのテーマにそって、その道の通人の先生方が一冊の本にまとめたものだ。」
「ありがたいものですか。」
「ああ、ありがたいなあ。とてもよい暇つぶしになる。」
「なんだい、ひまつぶしか、じゃああっしらが読んでる黄表紙とかわらないじゃないですか。」
「そうだな、変わらないといえば変わらないな。だが、その道の通人のおすすめというところが少し違う。」
「へっ、おすすめったらあれでしょ、貸し本屋の金公が、チョット熊さん、これごらんなさいよ~、Hでしょ。おすすめって言うのと変わんないでしょ」
「いっしょにしちゃいかん。なにしろこういう通人の方は人生のすべてをかけて暇つぶしをされてらっしゃる。世界中の本を読み漁り、そのために勉強に励み、思索にふけり、著述し、その方が選ぶのだからそれはもう究極の暇つぶしだ、しかも全集。人の一生分の暇つぶしだ。ありがたい話だ。」
「へぇ~そういうもんすかねぇ。どれ「文学の森」なんだかたいそうな名前ですな。なんだか迷っちまいそうだ。」
「そうだな、たまには文学の森に迷い込み新鮮な言葉の香りを思い切り吸い込むのも悪くないものだ」
「なんかまた、うまいこといったつもりになって。
そう、迷うといえばね、この間、夜中18番街のあたりをふらふらしてたらね、」
「これ熊、お前またそんないかがわしいところに出入りして!」
「へへっ、なに美崎から歩ってきたら、そこいらに突き当たっちまった寸法で。。。で、ふとみたら新しい飲み屋がある、迷亭なんて名前がついてる。はは~んこいつはてっきり、バンナ辺りに狸が小遣い稼ぎにはじめた店だなとおもいましてね、退治してやろう思って店に入った。」
「ほー勇ましいな。」
「で、さんざんぱら飲んで食ってしたあと」
「飲み食いはするんだな」
「いかがでしたか、なんつって亭主が出てきた、ほら出てきた、おもった通りの狸面だ、で、啖呵きってやったんでさ」
「ほー、なんと」
「やいやいてめぇ、てめぇが迷亭だなんていうややこしい名前をつけるから、こちとらすっかり迷子だい!しまいにゃ泣くぞ!」
「情けないね、どうも」
「したら、みなさんそうおっしゃいますなんて、すましてやがる」
「そう人ははみな人生の迷い道に佇む哀れな小やぎだ。」
「だからうまくないって。で、いってやったんです、いったいどういう了見こんな名前付けたっ!そしたら、これはヤツメウナギの書いた「わしはやまねこなり」という本に出てくる登場人物の名前だといいやがる。ばっきゃろー、この界隈で山猫といえば、水鳥と決まってんだっていってやりましてね。」
「話がややこしくなってきたね、それはあれだろう、夏目漱石の【我輩は猫である】のことであろう。うむ、確かに迷亭という人物がでてくるな。知ったかぶりで、うそつきで、話をまぜっかえすばかりのいけ好かない人物だ。」
「へー。なんだい、ご隠居さんの事かい」
「わしじゃあない。なに、いけ好かない人物だが不思議と憎めない人物なのじゃよ。まあ、ああいう人間がそばにいれば暇つぶしにはなるだろうて」
「そういうもんですかねぇ。確かにあの亭主、のらくら馬鹿な話して、なんだか暇つぶしにはなったな。」
「で結局どうした」
「どうしたもなにも、いつのまにか酔いつぶれて、18番街の道の真ん中で寝てたらしい。朝になって車に惹かれそうになって目が覚めた」
「おいおいあぶないね。であれか結局狸の仕業か。」
「いえね、ご隠居あっしが思うにあれはどうやら屋号にひみつがある。」
「というと。」
「迷亭だけに、いささか酩酊した。」
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2010年11月22日
「風車祭」再読と18番街
池上永一さんの「風車祭」(カジマヤー)やはり僕にとっては特別な小説のひとつだと思う。
最初にその物語を読んだのと、最初の石垣行は同じ時だった。
どちらが先だったろう。「風車祭」を読み始めて、石垣島に行こうと思い立ったのか、石垣島に行こうと思たから、その出たばかりの文庫本が本屋で目についたのか。
いづれにしろ、それは2001年の夏、朝ドラの「ちゅらさん」が人気(観てはないけど)で、八重山も観光ブームに沸き立っていた頃ではなかったか。
僕のそのときの旅は、本の中の幻想の石垣島と目の前のかつて観た事のない海の色に完全に惑わされ、潮風に洗われた独自の佇まいの市街の町並みや、夜の美崎町の賑やかというよりはむしろ裏ぶれた風情に惹かれ、言葉通り夢の中にいるようにあるいは物語に入り込んだように過ごしたはずだ。
すっかり島に魅せられ、翌年も訪れたものの、以降は仕事の関係もあり、10年近く、八重山どころか、どこへも旅行など行けない日々が続いた。
「そろそろ自分たちでも店を出したいね」という話から、「石垣島とかでは?」って言葉が出たのは、人に説明するとには確かに冗談としか思えないのだが、その島は僕らに取っての最良の思い出の場所でもあり、その後の10年間近い、まあ今にして思えばあまり冴えない日々からの脱出という思いからも、さほど不自然には思えず、むしろごく自然に「ありかも」と思えたのだった。
それでも実際に縁もゆかりも無いどころか、拠るべき文化がまるで違う土地にお店を根付かせる事がいかに無謀である事か、それは容易に想像はつく。
とりあえず地元の不動屋さんに紹介していただき、今年の正月開けに1泊2日の強行軍で現地物件視察のため再び島に訪れたときも、とりあえず僕らが島でお店を開ける可能性があるものなのかどうなのか、それを確かめる程度の消極的なものだった。
そう、今の「迷亭」の場所を紹介してもらい、不動産屋さんに「実はここは18番街といって、、、(以下この場所のあまりよくない話し)」といわれた、そのときまでは。
そうか、ここがあの十八番街か!
それは「ビッチヤマ御獄」、そして「スナック長寿」のある、「風車祭」の主要舞台のひとつであった場所。
十年前の読書体験と旅行の経験がいっきに蘇り、今と繋がった気がした。
周りを散策してみると確かに想像よりもずっと小さくビッチンヤマらしき御獄はあり、その前にはいかにもなスナック街もある。
かと思えば、比較的新しいバーやホルモン焼きの店もあり、まだ新しい店も出来てくるようだ。
チーチマーチュ、ターチマーチュの兄弟と出会ったわけではないが、この場所でならいける、この場所で自分の店をやるべきだという直感があった。
翌日、不動産屋に賃貸の申し込みにいく。まだ今の仕事をやめる算段も無く、いつ島にこれるか判らないけど、貸してくれというのだから、あきれた話だ。
その直感が正しかったかどうかは、今後の僕ら次第なのだけど、店の開店から数ヶ月。
ビッチンヤマを取り囲むようにして建っていた建物が取り壊され、御獄の前は広々とした空き地になってしまった。
前をふさがれていた鳥居も開放され、まるでビッチンヤマの神様が腕を大きく上げて伸びをしているように見えた。
ああ、この通りにはこれからいい風が吹く。
それは直感ではなく確信だった。
そして、僕は再び「風車祭」のページを開く。
島に来てから自分でもびっくりするくらい本を読まなくなっていた。いや読まなくても良くなっていた。
そして再び読み始めたのは、やはり島の物語だった。
先に進みたい気持が強すぎて、常に走り気味につんのめったような文章。かきたいことがありすぎ、詰め込みすぎで乱雑で無駄に長い構成、楽しませたい思いが溢れすぎて悪ふざけとしか思えない漫画のようなキャラクター造形。終いには全力疾走でスパートかけるが、テープ手前で転んで、そのまま転げるようにゴールにたどり着くようなラスト。
無駄に長くて、雑で、へたくそな小説なのにそのすべてが魅力に転化している奇跡。
その島でリアルに生きながら、石垣島という舞台でしかありえない物語を読むという至福。
読み終えて、また最初からページを開く。この島にいたなら、何度もそれを繰り返すであろう物語。